【あなたの願いを叶えたいので、壊します】 [思い出]
今日の孫堅パパ
鉄の☆8にチャレンジした後の姿。孫堅単騎でいったら明らかに死ぬので間に合うほどの槍を作りました・・・
すいません弱いです。。
馬、槍、弓と各種13万近い攻撃力のがいると資源別に序盤楽なんでしょうねぇ。
強いのは1枚あれば十分って人もいるけど。。。
どちらかといえば、、岩がほしいんだけど鉄だって誰かに盗られる位なら、自分で獲る!そんな気持ちでし。
そこそこBPが貯まっているんだけど、なかなかカードも売れないしデッキが減りません。。。
そして破棄して引いてもほぼCでつ。本日のUCは、太史慈タンが当たりぽいところでつかね。。。
2期・3期とSRひいてないにょ~・・・。
◆16鯖のこと
16鯖は、まず支部に入ってそこにはチャットルームが設けられてた。
ほぼ毎日夕方から23時頃まで、チャットさせてもらってました。
そこによくいたのが、Nさん、Tさん、1さん だったかな。
ほんとに素人の自分が、今も続けていられるのは、ここでいろいろ教えてもらったからだと思ってる。
*そのときにしたワタシのアホな質問集
Q.君主を落とした時は、その人の本拠地まで自分の施設にできるの?
A.できない
Q.本拠地で作った車を、途中の拠点に援軍でだして、そこからまた目的地に発射できる?
A.できない
*教えてもらったこと
・一度破棄した拠点を、他の人に譲渡しても作っていた施設が利用できる
・領地のLVUPクエは拠点用のところで使うと、名声が戻ってくる
・トレードの強制公開期限が---のところは、すぐに落札できる
などなど。。当たり前のことだけど、一人じゃ気づかないことばかりだったね。
そして、16鯖をやってた半分の期間までツール類をいれたことがなかった。
これを教えてもらったら、ずぶりとまた何かに足を踏み入れてしまったような感覚に。
まだまだ穏やかな時代だったので、拠点が3個目か4個目位から遠征をしだしたと思う。
ひとまず、後から加入した人を足場に拠点作れる人からはじめてた。
自分はまともに雀つくってなくて名声足りず、1さんがあらかた形をつくりだしてた囲いの手伝いして
★5から★7までわけてもらった。
このときもそうだし、何度か複数の人と連携して領地をのばしていくやり方を学ばせてもらった。
他の人たちもここを足場にしながら個人個人でさらに南下していた。
1さんは、足場につかってもらう代わりに囲いの領地の名声を補ってもらう方針をとった。
自分がやるだけなら簡単だけど、ルール作って他の人にも動いてもらう。
ギブアンドテイク 自分がやりたいことだけやれるわけじゃないけど、他の人と協力していく楽しさも感じた。
そしてさらに南下しつつとりあえず、☆7とかの領地を囲いながら
壁にどうしても行きたいという人がいて、みんなで大遠征大会が始まった。
そして同盟の遠征掲示板においらが書き込んだ一言
『「道は☆に聞け」と申します。みんなで繋いでいきましょう』 とかなんとか。よく忘れたけど。
この一言がのちのちのキーワードになってたりする。
鉄の☆8にチャレンジした後の姿。孫堅単騎でいったら明らかに死ぬので間に合うほどの槍を作りました・・・
すいません弱いです。。
馬、槍、弓と各種13万近い攻撃力のがいると資源別に序盤楽なんでしょうねぇ。
強いのは1枚あれば十分って人もいるけど。。。
どちらかといえば、、岩がほしいんだけど鉄だって誰かに盗られる位なら、自分で獲る!そんな気持ちでし。
そこそこBPが貯まっているんだけど、なかなかカードも売れないしデッキが減りません。。。
そして破棄して引いてもほぼCでつ。本日のUCは、太史慈タンが当たりぽいところでつかね。。。
2期・3期とSRひいてないにょ~・・・。
◆16鯖のこと
16鯖は、まず支部に入ってそこにはチャットルームが設けられてた。
ほぼ毎日夕方から23時頃まで、チャットさせてもらってました。
そこによくいたのが、Nさん、Tさん、1さん だったかな。
ほんとに素人の自分が、今も続けていられるのは、ここでいろいろ教えてもらったからだと思ってる。
*そのときにしたワタシのアホな質問集
Q.君主を落とした時は、その人の本拠地まで自分の施設にできるの?
A.できない
Q.本拠地で作った車を、途中の拠点に援軍でだして、そこからまた目的地に発射できる?
A.できない
*教えてもらったこと
・一度破棄した拠点を、他の人に譲渡しても作っていた施設が利用できる
・領地のLVUPクエは拠点用のところで使うと、名声が戻ってくる
・トレードの強制公開期限が---のところは、すぐに落札できる
などなど。。当たり前のことだけど、一人じゃ気づかないことばかりだったね。
そして、16鯖をやってた半分の期間までツール類をいれたことがなかった。
これを教えてもらったら、ずぶりとまた何かに足を踏み入れてしまったような感覚に。
まだまだ穏やかな時代だったので、拠点が3個目か4個目位から遠征をしだしたと思う。
ひとまず、後から加入した人を足場に拠点作れる人からはじめてた。
自分はまともに雀つくってなくて名声足りず、1さんがあらかた形をつくりだしてた囲いの手伝いして
★5から★7までわけてもらった。
このときもそうだし、何度か複数の人と連携して領地をのばしていくやり方を学ばせてもらった。
他の人たちもここを足場にしながら個人個人でさらに南下していた。
1さんは、足場につかってもらう代わりに囲いの領地の名声を補ってもらう方針をとった。
自分がやるだけなら簡単だけど、ルール作って他の人にも動いてもらう。
ギブアンドテイク 自分がやりたいことだけやれるわけじゃないけど、他の人と協力していく楽しさも感じた。
そしてさらに南下しつつとりあえず、☆7とかの領地を囲いながら
壁にどうしても行きたいという人がいて、みんなで大遠征大会が始まった。
そして同盟の遠征掲示板においらが書き込んだ一言
『「道は☆に聞け」と申します。みんなで繋いでいきましょう』 とかなんとか。よく忘れたけど。
この一言がのちのちのキーワードになってたりする。
2011-06-24 22:51
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